「背後の手前」 2009 樹脂石膏、蜜蝋 H50xW26xD21cm |
大森 博之展 OHMORI Hiroyuki 2009.09.07(月)―09.19(土) <彫刻の閾と彫刻の肉> 大森 博之 父の死に顔をデッサンしている時、冷たく硬い物体を父としているのは、その表面の 起伏だった。表面だけが僕と現在を流れていて、空虚の境で型をなしている表面が父 だった。この無意味な型だけしか残っていないのに、なぜ描くのだろう。 死んでから灰になるまでの間、父は「彫刻の閾」にあった。 粘土で塑像し石膏取りした物に蜜蝋を塗布した作品は、何か充実した精神を宿してい るわけでもなく、個人の記憶と癖による稚拙なイメージをなぞった手の痕跡にすぎない。 だから、彫刻の対象となる人格や内面性を保つ生命に欠けている、つまり死んでいる。 にもかかわらず、石膏に移し替えられ、すでに型でしかなくなった表面の虚無のうつろ に光が留まってしまう現実。この奇妙な在り様の方が、いま、ここに別次元の場(彫刻 の閾)を開くことになるかもしれないかと思う。 作品はつねに背後の手前にしか生起しない。それは背後への供物と同時に背後への侵 犯であり、また手前の余分として切断された蜥蜴の尻尾のように痙攣している。逃げ去 った蜥蜴が背後であり故郷であるなら、私の手は恋い慕いながらあの痙攣の訪れを待っ ている。 性欲でなく肉欲であること。初期の異様に厚く塗ったタブローから、晩年の「水浴図」 に於ける青と青の間の空白。セザンヌの問題は、僕にとって「彫刻の閾」と「彫刻の肉」 である。 2009.9月 →2003年度の個展 →2006年度の個展 →作家略歴/Biography |
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