なびす画廊

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exhibition

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「夜良比 No.4」
2015年、キャンバス,アクリル絵具、33.4x24.3cm(F4)




「夜良比 No.12」
2015年、キャンバス,アクリル絵具、41x31.9cm(F6)


企画
黒須 信雄 展 「夜良比」
KUROSU Nobuo
2015.12.01(火)―12.19(土)
※土曜5時まで、日・月 休廊

             
「夜良比」
                         黒須 信雄
 夜良比とは神夜良比仍ち神逐らひのことである。
 神の身にして二度に亘って高天原を逐われた須佐之男の先蹤を成す系譜は、
まさに彼の神の本質に均しく〈異和とあわい〉にあり、その始原點はひとつに
収斂し得ず、ふたつの異質な祖型を持つ。獨神と水蛭子である。この神格的に
も存在論的にも異なる二者は、然し、存在者の志向と営為の限界性に鑑みると
き、不可能的な存在論的遡行意志に於て異和とあわいの結節點に〈同時に同処
に〉位置することとなる。
 遡行は始原の有無に拘らず始原點に収斂するが、それは存在に属する事柄で
あり、意志の自律性とは相容れない。然し、現実的にそれ以外に存在者が意志
する方途はない。とすれば、一旦現実的であることを放擲せざるを得ない。始
原を始原のけっして有り得ぬそのさきへと〈単に〉設定するのである。尤も、
当然ながらそれだけでは現実裡に在る我々には何の意味も持たない。それを有
意味化するためには始原點を複層化するよりない。始原とも云えぬ始原に留ま
る獨神と、存在と〈存在する〉のあわいに流された水蛭子とが、異和とあわい
の系譜のふたつながらにしてひとつの祖型と〈思考され得る〉ことこそ、遡行
意志の自律性仍ち意志の意味を我々に齎すものなのである。それは存在に対す
るさかしまなる意志なのだ。そして、これは実-虚対峙の構造そのものをも変
質させる。
 始原に於ける無點=ゼロポイントにより近しいのは当然ながら水蛭子より獨
神だが、これをさかしまなる意志を以て実-虚対峙に敷延すると、虚に対応す
るのはより〈異和とあわい〉の性格が濃厚な水蛭子の方である。何者とも成り
得ず、何処にも居場処を持てないと云う〈逐らひ〉の非決定性が、現実裡に在
る我々の限界性に照応するのである。この照応なくして、換言すれば存在の裏
をかくことなくして、獨神的なるものが我々に於て顕現することはあり得ない。
 此処に於て、実-虚対峙は複層化され、現象であることをやめる。この非現
象が一旦現象のかたちを借りて改めて非現象化する顕現が藝術一般の基底に存
することは疑い得ないだろう。それぞれの藝術形式とはその一連の過程の差異
に他ならないが、それらは決して忽せにできない厳密な方法を内在させるもの
である。
 かくなる重層構造を絵画に於て眺めてみよう。絵画の実質とは存在論的遡行
意志に基づく存在形式転換としての顕現なのであるから、その実體はそもそも
虚に属するのであって、改めて実-虚対峙に於ける虚を引き出すためには一度
虚としての絵画の本質を実へと反転させることが必要になる。絵画が物質を通
してしか己れを顕さないのはその故である。無論、この反転はそれ自體では何
も齎さない。実の広大なる領域を抱え込んだのち、ゼロポイントを通過して虚
としての実質に内在化することによって初めて絵画は己れを形成するのである。
 処で、もともと虚であったものが虚へ回帰するとすれば、実を礎とした場合
とは明らかに異なる事態が招来されるだろう。絵画は画面をゼロポイントとし
て虚の側に実と同等な広大無辺の世界を擁するが、実と虚の無際限と無際限が
ゼロポイントで結ばれている以上、その拡氾の〈向こう側〉での極限にも矢張
り収斂するゼロポイントが存在し得る。尤も、それは当然ながら〈ない〉。従
って、それは意志することしかできない。否、より精確に云えば、不可能的に
意志することしかできない。何となれば、〈ない〉ものを意志することは意志
の解體を齎すからである。ヴェクトルのない無方向的な意志が現実裡に反映す
るとき、それは一種の錯乱に近しいものである。
 輓近、私の制作に版画や木彫が加わり、絵画に於ても複数の異なった描法を
採用するのは、表現の可能性の探究などとは全く無縁のことである。単純に意
志がヴェクトルを持たない場に踏み迷ったに過ぎない。私が望んだことではな
い。敢えて云えば、絵画がそれを私に強いたのである。
 亦、曾ては顕現様態や方法の違いによって作品に名を与えていたが、それも
今回、絵画に関しては並べて「夜良比」とした。虚-虚対峙の向こう側の無方向
的な意志の場では異和は分節にではなく統合に寄与する。何となれば、虚の向
こう側には〈あわい〉ならざるものはあり得ないのである。
 逐らひ=夜良比のさきに何があるのか、いまの処まだ見えていない。
                        二〇一五・九・二八

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