なびす画廊

nabis gallery
exhibition

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「ねばねばした光」
 2011
 陶土、油絵具、蜜蝋
 H35xW28xD21cm

「彫刻の閾」
 2011
 木、油絵具
 H11.5xW21xD13.5cm


大森 博之展
OHMORI Hiroyuki
2011.09.05(月)―09.17(土)

 | 作家コメント |

 彫刻の閾

 当たり前のことですが、彫刻と対面している時、像の現れる表の裏側を見ることはできません。少し回りこめば別の像が現れますが、その裏側は見えません。移動することで像がつながり、全体は立体の形象として想像できます。けれども、私に彫刻が教えるのは、見える半面は見えない半面と背中合わせであることの恐ろしさです。私が見ているのは空虚に飲み込まれてしまう一歩手前、別の次元に行きそびれた断片の表です。物体をぎりぎりまで薄くしてかろうじて立っている、非物質的な像が平たい物質に寄りかかっている影絵のような作品を考えていくと、像を映すスクリーンである物質が同時にその表面の肌理を煌めかせていて、見えて在ることの境を意識させます。そして向こうはわからない。空虚な妄想にすぎません。

 ある物質が経験や時間によって練り込まれ別次元の物質にまで高まることがあります。酒とかチーズとか、彫刻もそうですね。それらは元の物質の面影を恋慕い呼び寄せる振舞いの度合に応じて物質の奥行を形成します。彫刻は物質を通して像を生み出そうとしますが、つねに像の出現は物質のベールによって遮られ遅れる。作り手は物質と混ざり合って、この落差を彫刻として厚みと奥行のある物質に変えていくわけです。薄っぺらな物体であっても、落差の処方で面影の浸透する閾を実在させれば彫刻になると言うことです。粘土でモデリングし焼成したものに油絵の具を塗り更に蜜蝋を重ねた仕事をすると、経過につれて記憶が曖昧になり、面影を手繰ろうとして油絵の具や蜜蝋を塗ることでいっそう原型から離れてしまう。そして表層は、現在に重なる物質で嵩張り、不快になるのだけれども、そこには何かが保存されている気がします。粘土、油絵の具、蜜蝋、の物質内部の光、混合する私の経験と記憶の光、そしてそれらが現実の光に触れて生まれる彫刻のねばねばした光。
                2011.9  大森 博之


→2003年度の個展
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